2006年02月02日

聖餐式 (せいさんしき) -中キリB-

 聖餐式

 中キリは、中学生にも、キリスト教とは?な方にも、

 分かりやすくテーマごとに記事にしています。

 今回は聖餐式についてです。

 ちょうど、今日、教会の祈祷会で行われました。

 キリスト教には儀式と言われるものが2つあります。

 洗礼式と聖餐式です。

 洗礼式は、一人1回だけ、聖餐式は毎月行われます。

 毎月行われると言うことはやっぱりとても大切な儀式です。

  洗礼式は、人がイエス・キリストを信じたことを、

 人と神の前に公に認める、

 私はクリスチャンになりました!

 と言う儀式が、洗礼式

 詳しくはこちらのページにて、

 洗礼式


 聖餐式はプロテスタント教会では毎月、

 カトリック教会では毎週(のところもある。)

 行われます。

 毎月同じことを行います。


 どんなことをするかと言いますと。

 パンとぶどう酒(ぶどうジュース)を一口ずつ頂きます。


 しかし、この聖餐式には制限があります。

 それは、イエス・キリストを信じている。

 洗礼を行ったことのある方だけの参加となります。

 なので、教会に来て間もない方、

 長く教会に来ているけれど、

 イエス・キリストを信じていない人は、 

 聖餐式に参加することができず、

 見ているだけとなります。


 そんなの不公平だ!!

 と言われるかもしれませんが、

 聖餐式の意味を理解すると少し納得できるかも知れません。


 聖餐式は、

 パン = イエス・キリストの肉

 ぶどう酒 = イエス・キリストの血


 を現します。

  
 ものすごく簡単に説明しますと、

 このパンと血を食べることによって、

 キリストを食べることで、

 私たちの歩みはキリストの十字架の犠牲によっている。

 ことを思い起こすために。

 最も単純な食べると言う行為として毎月思い起こします。

 
 キリストの十字架上で裂かれた肉体。

 キリストの十字架上で流された血。


 この犠牲は私のためだったことを思い起こします。

 
 と言うことは、一度はこのことを知ったもの、

 すなわち、洗礼式を行い、

 十字架と復活の救いに預かった者が、

 この救いを毎月思い起こすための儀式。

 それが、聖餐式です。


 ダビンチの絵で有名な最後の晩餐。

 この絵は、最初の聖餐式の場面を絵に現しています。

 
 この聖餐式の時に、

 クリスチャンであっても犯した罪を告白し、

 神の赦しを実感し、復活の力に預かります。

 なぜ、毎月か?と言うと、

 みんな忘れっぽいからです。

 目に見えない神様は私たちの心を知っています。

 目に見えない神だからこそ、

 目に見える形で行うことが大切です。

 わたしたちは毎月聖餐式を行い思い起こすことが重要です。



 もちも聖餐式はイエス様の十字架と復活を思い起こさせるので、

 とても好きな儀式行事です。


 主よ、あなたの十字架の犠牲を心から感謝します。
posted by もち at 23:56| Comment(8) | TrackBack(0) | 新潟のいいところ?
この記事へのコメント
カトリック教会では毎週のようにあるなんて知らなかった〜(≧ω≦)b今日も勉強になってしまった( ´艸`)ムプフ♪
毎月行う聖餐式だけど…毎日イエス様が自分の為にしなれた事を思い出し感謝を捧げて行きたいものだとおもいました。
Posted by うーさん at 2006年02月04日 01:16
ルーテルも、他の教派より聖餐の回数が多いみたいです。母はそこに行っていますし、私も時々重要な行事のときに顔を出します。母はこっちに来てからずっとルーテルを気に入っています。日本に帰ってからも、ルーテルに行きたいと言っています。
Posted by はなけん at 2006年02月04日 10:23
 うーさん こんばんは!
 カトリックでは、教会によっては、ミサ(礼拝)の後に必ず行うところもあるようです。それだけ十字架と復活に重きを置いているのかも?
 ほんとに、自分の為にいのちをかけて愛してくれたイエス様をいつも見上げてに来たいね、もちもです。
Posted by もち at 2006年02月07日 23:57
 はまけん こんばんは!
 ルーテルも多いのか〜。ルーテル教会もプロテスタント教会の一つですが、儀式を重んじる派のようなので多いのかもしれない。アメリカは日本に比べて、どの派も充実しているかもしれません。お母さんも日本に帰ってきたら良い教会に行くことができると良いですね。
Posted by もち at 2006年02月08日 00:04
もちさん 初めまして。いつもうーさんのところにお邪魔しているともと申します。
聖餐式についてなのですが・・
私は2週間前から、教会の礼拝に出席していますが、2度ともこの聖餐式が礼拝の後にあり、これは洗礼を受けていないとだめだと聞いていたので、牧師先生が私のところに ぶどうジュースを持って来て下さったときに、躊躇して お断りしたのですが(もちろん 先生は私がまだ 洗礼どころか 初めて教会にきたと知っています!)
「あなたが神さまを信じておられるなら、どうぞ」とおっしゃり、私は頂いたのです。
そして、今週も聖餐式があり、また、先生はもって来られたもで、いただきましたが、私は、自分には まだこの聖餐式にでる資格もないし、ここにおられる信者の皆さんとは比べられないほどの信仰・・そこへもいかないほどの思いしかないのに・・ととても寂しく 辛いというか、切ない思いがしました。
まだ 礼拝にでるのは 早いように思い、来週から、聖書の学びを受けたいと申し上げました。
やはり、もちさんがおっしゃるように、十字架の意味を深く理解できていないものは聖餐式にはでることは出来ないと私も思います。きっと、そう自分が感じたので、そのパンやジュースを頂くことに辛さがあったのかもしれません。
初めてなのに
長々と書いてしまいました。
読んでくださり ありがとうございます 
これからも よろしくお願いいたします
Posted by とも at 2006年02月09日 01:20
 ともさん こんばんは!
 初コメント感謝です!
 聖餐式を洗礼を受けずに受けたからと言って、罰を受けたり、責められてたりすることは基本的に無いと思います。
 しかし、洗礼を受けないまま聖餐に預かることは、心の良心に痛みを感じるかもしれません。それは聖書に、「ふさわしくないまま…。」第一コリント11:27とあるからです。
 ともさんが行かれている教会の牧師先生は、聖餐にあずかることを勧めるべきではないと思いますが、教会に来て間もない方の為に、配慮としてお勧めされたのだと思います。
 ともさんが、礼拝の中で聖餐式に何もしないで見ているだけということが、仲間はずれのように感じず、礼拝にも参加できるようでしたら、礼拝には参加し続ける事をお勧めします。
 聖餐を勧められることに関しては、聖書の第一コリント人への手紙11章23節〜29節をお読みになって頂き、牧師先生に洗礼を受けてから、聖餐に預かりたいですと、ご自分の思いをお話してみるのも良いと思います。
 あと、聖書の学びを受けつつ、礼拝に参加すると、更に神様のことがはっきりしてくると思います。学びは知的に知ることで重要で、礼拝は、真実と霊によって礼拝しますから、両方大切です。聖餐に預かるかどうかをクリアしましたら。両方されることをお勧めします。
 アドバイス的なことを書きましたが、是非このことも教会にいらっしゃいます、兄弟姉妹の方と語り合ってみてください。みなさん優しく問題に取り組んで下さると思います。
 こちらこそ、よろしくお願いします。
Posted by もち at 2006年02月12日 02:07
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Posted by 水着 ビキニ 激安 at 2013年08月21日 16:28
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